京都にある醍醐寺には、木造建築や彫刻、書画など多くの文化財が伝えられています。
数ある仏像の中から紹介するのは、三宝院(さんぼういん)の弥勒菩薩坐像(みろくぼさつざぞう)です。
釈迦の後継者として未来を託せる心強い仏に会いに行きましょう。
醍醐寺 三宝院の弥勒菩薩坐像は快慶の作
弥勒菩薩坐像(みろくぼさつざぞう)は、醍醐寺三宝院のご本尊です。
三宝院の特別拝観でお参りすることができます。
弥勒菩薩座像
・重要文化財
・鎌倉時代
・快慶 作
・木造(ヒノキの寄木造)
・金泥塗 截金(きりかね)
・玉眼
・像高約112.0㎝
弥勒簿雑座像は、建久三年(1191)に醍醐寺座主・勝賢が、後白河上皇の冥福を祈って作ったものです。
弥勒菩薩は、お釈迦様が亡くなって56億7千万年後に、この世に降りたち人々を救う予定の仏様です。
将来、釈迦の後継者として、人々を救済するために今も天上界で修行を積んでいる弥勒菩薩です。
菩薩について詳しく書いています。
弥勒菩薩について詳しく書いています。
座ったお姿を前にすると、華やかで凛とした端正な顔立ち、身体にまとった衣の表現、華やかさの中にも気品がある装飾品などに目が行きます。
この像では、左右の腕などに金泥を塗った上から、卍(まんじ)崩しや立涌(たてわく)といった規則正しい文様を截金(きりかね)で施してあります。
三宝院の弥勒堂(みろくどう)を拝観する際は、実際には弥勒堂の中には入れません。
弥勒堂の入り口の廊下から、弥勒菩薩像を拝むようになります。
離れたところからなので見えにくいですが、華麗な装飾に気品の高さを感じます。
躍動感のある運慶の作とは違い、全体的な印象としては、優雅でおだやかに感じます。
尊い仏様って感じがたまりません。
弥勒菩薩坐像は快慶の作
弥勒簿雑座像は、仏師・快慶(かいけい)(生年不詳~1227以前)が造りました。
快慶の初期の作品を代表する仏像のひとつです。
この作品で快慶らしい作風が開花したともいわれています。
快慶は鎌倉時代に活躍した奈良仏師の1人で、運慶(うんけい)とほぼ同時代を生きました。
2人は運慶の父・康慶(こうけい)の弟子にあたります。
父子関係である運慶に対して快慶は一弟子から工房で学び、慶派仏師のスターとなった努力家でもあります。
熱心な阿弥陀信仰者(あみだしんこうしゃ)でもあった快慶は、この像に快慶の名前ではなく、「工匠(こうしょう)アン(梵字)阿弥陀仏」と像の膝の裏に記しています。
この名前は、醍醐寺出身で、東大寺の大復興の責任者を務めた重源(ちょうげん)が快慶に与えたものです。
その後、重源の依頼により運慶と共に南都焼き討ちで被害を受けた東大寺の復興に当たることになり、東大寺には今も快慶の作品が多く残っています。
快慶は「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれる端正な阿弥陀立像の様式を確立しました。
醍醐寺三宝院は特別公開!
三宝院は、醍醐寺の本坊的な存在で歴代座主が居住する坊です。
現在も醍醐寺の寺務所が置かれています。
三宝院は、永久3(1115)年、第14世座主・勝覚(しょうかく)により創建されました。
表書院は唐門と共に国宝に指定されています。
大玄関、葵之間、秋草之間(あきぐさのま)、勅使之間(ちょくしのま)、奥宸殿(おくしんでん)、純浄観(じゅんじょうかん)、弥勒堂は国の重要文化財に指定されています。
また、平成六年(1994)醍醐寺の伽藍を構成する一部としてユネスコ世界遺産に登録されました。
三宝院の見どころ
朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる門(勅使門)が唐門です。
三宝院は明治維新の頃まで皇族が住持(じゅうじ:住職)を務めた門跡寺院でもあり、唐門には皇室の菊のご紋と秀吉の桐紋が彫刻されています。
書院造に寝殿造の様式を取り入れたもので、桃山時代を代表する建築物の一つとされています。
奥宸殿(おくしんでん)にある違い棚「醍醐棚」は、桂離宮の「桂棚」、修学院離宮の「霞棚」と並び、天下の三大名棚と呼ばれているそうです。
醍醐の花見を回想する枝垂れ桜
三宝院および醍醐寺は豊臣秀吉が「醍醐の花見」を催した地として知られ、桜の季節には多くの参拝者が訪れる桜の名所です。
三宝院の境内にある大きなしだれ桜は特に有名。
醍醐寺 三宝院藤戸石は天下の名石
三宝院庭園にある 藤戸石(ふじといし) は庭の中心に位置する石で、阿弥陀三尊を表しています。
醍醐寺三宝院庭園の主石として設置されている名石で、歴代の武将に引き継がれたことから「天下の名石」といわれています。
その歴史的な経緯から、「天下人が所有する石」とも呼ばれています。
元は岡山県倉敷市藤戸町にあったもので、源平の合戦を見守ったことから足利義満が鹿苑寺金閣寺(ろくおんじ きんかくじ)へ取り寄せます。
その後、銀閣寺に移され、織田信長が足利義昭のために建てた二条城へ移されます。
豊臣秀吉が聚楽第、さらに現在のの醍醐寺三宝院へと移されています。
三宝院の庭園は豊臣秀吉が自ら設計し指揮して作られたと伝わっています。
書院から庭園を一望できる造りになっています。
現在、観光客は庭には降りれませんが、秀吉が愛した庭園をそのまま感じることができるのは、とても不思議な気分です。
醍醐寺三宝院へのアクセス
●基本情報
醍醐寺三宝院(だいごじさんぼういん)
住所 京都市伏見区醍醐東大路町22
TEL 075-571-0002
●アクセス
京阪バス「醍醐寺前」下車すぐ
地下鉄「醍醐」駅下車、徒歩10分
名神高速「京都東」から約20分
名神高速「京都南」から約30分
阪神高速「山科」から約15分
京滋バイパス「宇治東」から約25分
※専用駐車場は100台(5時間700円)
●拝観時間
夏期:午前9時〜午後5時(3月〜12月第1日曜日)
冬期:午前9時〜午後4時30分(12月第1日曜日の翌日〜2月)
※閉門時間30分前で受付終了
●拝観料
•三宝院庭園・伽藍の二箇所1,000円
※ 3/20~5月G.W最終日まで:1,500円
•三宝院御殿特別拝観 500円
•霊宝館本館・平成館特別展示:500円
まとめ
世界文化遺産に登録されている醍醐寺三宝院、本堂の仏像、弥勒菩薩坐像、境内の建築物や、庭園、をご紹介しました。
広い広い醍醐寺はしだれ桜の咲くころがおススメです。
豊臣秀吉が愛した醍醐寺の花見。
そして、未来を託せる心強い仏、弥勒菩薩に会いに行きましょう。
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