京都・宇治にある萬福寺は、江戸時代初期、中国からやって来た黄檗宗(おうばくしゅう)
の開祖・隠元禅師(いんげんぜんじ)によって開かれたお寺です。
一歩入れば、中国と日本の文化が融合した独特のデザインにすぐに魅了されますよ。
仏像も中国人仏師による独特の味わいが魅力。
そんな個性あふれる禅宗のお寺ではユニークな仏さまもいらっしゃいます。
京都宇治で異国情緒を満喫しましょう。
萬福寺〈京都・宇治〉はどんなお寺?
歴史
黄檗山 萬福寺(おうばくさん まんぷくじ)は京阪宇治線・黄檗(おうばく)駅から東へ徒歩約5分の静かな高台にあります。
萬福寺の創建は、江戸時代初期の寛文元年(1661)。
日本の禅宗の復興のため、中国福建省から招かれた中国の僧侶・隠元隆琦禅師(いんげんりゅうきぜんじ)が開いた禅宗・黄檗宗のお寺です。
伽藍(がらん)
黄檗宗とは、臨済宗、曹洞宗とともに日本三禅宗に数えられます。
お寺の儀式や作法は、すべて中国式。伽藍(がらん=お堂)も中国の明朝様式で、きれいに左右対称にお堂が並んでいます。
境内に一歩足を踏み入れると、まるでそこは中国のようですよ。
旧暦のお盆になると、華僑の人たちの行事も行われるそうです。
お寺の名前
お寺の名前「黄檗山 萬福寺(おうばくさん まんぷくじ)」は、隠元禅師が中国で住職を務めていたお寺と全く同じ名前です。
そこには「旧を忘れない」という意味が込められており、伽藍も仏像も従来の日本式とは異なる中国の建造物に漂うチャイニーズテイストがとても素敵です。ここはどこ?と京都にいることを忘れてしまいそうな、異国情緒たっぷりのお寺です。
萬福寺〈京都・宇治〉隠元禅師はどんな人?
隠元禅師(いんげんぜんじ)は中国福建省の「黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)」の住職で、日本の禅宗の復興のために招かれ、多数の弟子と一緒に来日しました。
隠元禅師は当初、3年で中国に帰国する予定でした。しかし、その人柄のよさが人気となり、結局は日本に引きとめられ、徳川4代将軍の徳川家綱に与えられた10万坪という広大な土地に萬福寺を作ることになったのです。
隠元禅師といえば、大陸のさまざまな文化や風習を伝え、日本に煎茶文化をもたらしたとされる有名なお坊さんですね。
インゲン豆やスイカ、レンコン、タケノコ(孟宗竹)なども隠元禅師によって将来されたものなんだそうです。
私たちが日ごろから親しんで食べているものばかり!
そして私が大好きな食べ物ばかり!
隠元禅師はグルメな方だったと推察します!
萬福寺〈京都・宇治〉の仏像は中国人仏師の范道生の作
范道生(はんどうせい)(1635~1670)は、江戸前期に来日した中国福建省泉州の仏師です。
仏像に関して中国風にこだわりを持っていた隠元禅師(いんげんぜんじ)は、長崎に渡来していた若手中国人仏師に白羽の矢を立てました。これが、萬福寺の多くの仏像を手がけた范道生で、そのとき若干26歳でした。
范道生は、長崎で唐寺の福済寺と興福寺の仏像や道教神像をつくっていました。
寛文3年(1663)、黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖・隠元禅師(いんげんぜんじ)から京都宇治の萬福寺(まんぷくじ)に招かれ、1年ほど仏像づくりに励みました。
仕事が一段落すると、父親 (仏師)に会うためにいったん日本を離れましたが、萬福寺の仕事を再開するために寛文10年 (1670)に再来日を試みます。
ところが、日本は鎖国の真っただ中で入国は認められず、同じ船で帰国するよう命ぜられていたなか、病気で亡くなりました。
わずか36歳でした。
日本での活動期間は6年ほどでしたが、范道生(はんどうせい)がのこした仏像は同じ時代の京仏師に影響を与え、日本の黄檗宗の存在を広く示すことにも貢献しました。
萬福寺では、およそ27体の仏像が范道生作とされますが、彼の指導のもと、多くの中国人や日本人仏師が協力してつくりあげたと考えられています。
若き天才仏師、范道生が遺した異国的な萬福寺の仏像を見ていきましょう。
萬福寺〈京都宇治〉の仏像、弥勒菩薩(布袋)坐像
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弥勒菩薩坐像(みろくぼさつざぞう)は、山門をくぐって正面にある天王殿に安置されています。
天王殿は中国様式ではお寺の玄関。
ここに大きなお腹と満面の笑みを浮かべた弥勒菩薩(みろくぼさつ)様が安置されています。
また、お堂の守護神として韋駄天立像(いだてんりゅうぞう)、四天王(してんのう)がまつられています。
弥勒菩薩(布袋)坐像
范道生作 木造 像高約110・3㎞ 江戸時代
中国の寺院では、布袋様(ほていさま)は弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身とされ、萬福寺でも弥勒菩薩としてまつられています。
日本での布袋は、七福神の仲間として有名ですが、中国では唐王朝滅亡後の王朝・後梁(こうりょう)に実在した禅宗のお坊様です。
本名は契此(かいし)。
太鼓腹を出し、口を開けて大笑いした布袋は、日用品を入れた大きな袋を担いで町中を歩き、吉凶や天候を占ったと伝わっています。
萬福寺の弥勒菩薩坐像(みろくぼさつざぞう)は寛文3年(1663)に隠元に依頼され、范道生が製作しています。見るだけでご利益がありそうな、貫禄たっぷりの布袋尊ですよ!
都七福神めぐりでもおなじみの布袋尊です。
萬福寺〈京都・宇治〉の仏像、釈迦迦如来坐像
釈迦迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)は大雄貴殿(だいおうほうでん)に安置されています。
「大雄寶殿」は、日本ではお寺の本堂にあたります。
大雄寶殿」は、「萬福寺」で最大の伽藍(がらん=お堂)となっていて、歴史的建造物として重要文化財に指定されています。
ご本尊の釈迦牟尼佛が安置されています。
両脇にはお釈迦さまの弟子、阿難(あなん)、迦葉(かしょう)の二尊者、さらに両脇に十八羅漢像(じゅうはちらかんぞう)が安置されています。
釈迦迦如来坐像
京仏師・兵部作
木造 像高約250.0m
江戸時代
寛文8年(1668)に大雄貴殿が完成した翌日に安置されたことから、そのころ日本を離れていた范道生ではなく、京仏師によるものとされています。
明代の仏教様式と和様をミックスした独特の雰囲気です。
釈迦如来を挟んで、
向かって右に迦葉尊者(かしょうそんじゃ)(像高約208.0m)、
向かって左に阿難尊者(あなんそんんじゃ)(像高約208.0m)がまつられています。
釈迦十大弟子のうちの2人です。
十八羅漢像
十八羅漢像
范道生作
本造 像高:130.0m
江戸時代
羅漢は「阿羅道(あらかん)」の略称。
釈迦の弟子の中でも、位の高い弟子に与えられる称号のようなもの。
何人かでグループを組んで、釈迦の教えを伝えています。
たとえば、十六羅漢は、釈迦が亡くなった後、長く世の中にとどまって、仏の教えを守り伝えていくようにと釈迦から命じられた16人の羅漢。
臨済宗や曹洞宗の禅宗寺院では、釈尊を守護するものとしてこの16羅漢をまつる例が多いといわれています。
黄檗宗では中国明代の禅宗寺院にならって、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)と慶友尊者(けいゆうそんじゃ)を加えて「十八羅漢」を安置しています。
これらの18体は、本尊釈迦如来坐像を囲むように、左右に9体ずつ配列されています。
その表情やしぐさは変化に富み、今にも動き出しそうな気配さえ感じますよ。
范道生が彫刻し、京仏師が装飾を仕上げた日中仏師合作の群像です。
仏像好きにはたまらい見ごたえあのある仏さまたちです。
萬福寺〈京都・宇治〉へのアクセス
黄檗宗大本山 萬福寺
住所 宇治市五ケ庄三番割34
拝観時間 9:00~17:00(受付は16:30まで)
拝観料 500円
電話 0774-32-3900
アクセス JR奈良線・京阪宇治線「黄檗駅」下車徒歩約5分
まとめ
萬福寺の見どころと歴史について、ご紹介しました。日本の寺院をいろいろ巡っている方にとっても、他にはない貴重な独特のデザインが楽しめるお寺が萬福寺です。
異国情緒あふれる景色と見ごたえのある仏像を堪能してくださいね。
萬福寺ではランチも楽しめますよ!
普茶料理について
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