東大寺〈奈良〉四天王像の特徴、名前は?大きさは?聖徳太子も信仰?

仏さま

奈良の東大寺、見どころがたくさんある大きなお寺です。
その中にある戒壇堂(かいだんどう)には国宝の四天王像が安置されています。
(現在は東大寺ミュージアムで見ることができます)

四天王、4人グループの仏像、それぞれのお名前や特徴をご紹介します。



東大寺 四天王像 、四天王とは?名前は?

四天王像は仏の世界、天部に所属する四天王、4人グループです。
・持国天(じこくてん)
・増長天(ぞうちょうてん)
・広目天(こうもくてん)
・多聞天(たもんてん)

東西南北を守護してくれる神を言います。

持国天:東
増長天:南
広目天:西
多聞天:北

四天王は、もともとは古代インドの神々で、仏教に取り入れられるときに四方を守る神となりました。
仏教の世界には、中心となる須弥山(しゅみせん)という山があります。
釈迦の生前の教えを聞いていた四天王は、釈迦が亡くなった後、その山に住んで仏法を守護するように託されたのです。
須弥山の山頂には、釈迦の修行を助ける帝釈天が住み、四天王は須弥山の中腹に暮らしています。
グループを組む四天王にはそれぞれの役目があり、須弥山の東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天が守護。
これらの4つの天部を四天王と呼んでいます。

多聞天は毘沙門天ともいいます
四天王のうち、北方を守護する多聞天は、別名を毘沙門天ともいいます。
毘沙門天の梵名(サンスクリット名)は「ヴァイシュラヴァナ(神の子)」。
それを中国漢字にしたものが「毘沙門天」。
「あまねくよく聞く」という意味を持つことから、「多聞天」と訳されました。

日本では、四天王としてまつられる場合は多聞天、単独の場合は毘沙門天と呼ばれています。
毘沙門天が信仰されるのはこういう意味があったのですね。

毘沙門天像は鞍馬寺にもありますよ!



東大寺 四天王像 の特徴は?

東大寺 戒壇堂(かいだんどう)の四天王立像はすべて国宝です。
日本を代表する天平彫刻の1つと高い評価を得ています。
長く東大寺の戒壇堂(かいだんどう)にまつられていましたが、現在は東大寺ミュージアムに安置されています。
戒壇堂は、保存修理及び耐震化工事の為、令和2年7月1日より約3年間拝観受付を一時停止しています。
この間、四天王像は東⼤寺ミュージアムにて拝観できます。

四天王像をよく見れば、黒目の部分に石が使われているのが分かります。
これは四天王像の大きな特徴の1つで、生き生きとした印象を受けます。

持国天像は口を閉じ、左足で邪鬼を踏みつけています。
増長天は口を開き、右足で邪鬼を踏んでいます。
二つの像は、はっきりと目を見開いた上で激しい怒りの表情を見せる印象があります。

多聞天広目天については、目を細めた厳しい表情を浮かべているように見えます。
ただ、単純な怒りではなく見透かされたような気分にさせられる「凄み」を感じます。

東大寺の四天王像は怒りの表情が自然に生み出されているように感じます。
四体がそろってひとつの美しさが表現されていると思えます。
「天平時代の美」ということなのでしょうか?
歴史、時代、古さも美しさにプラスされ、いつまでも見ていられる仏像です。

持ち物
持国天像は「刀」 増長天像は「鉾(ほこ)」広目天像は「筆」と「経巻」、多聞天像は「宝棒」と「宝塔」を持っています。
持国天は、左右に羽のような形の飾りがついた「兜」をかぶっています。

四天王の中でもっとも力が強いのは多聞天とされており、多聞天は1人の時は「毘沙門天(びしゃもんてん)」と名乗っています。



東大寺 四天王像 作者は?大きさは?

東大寺戒壇院 四天王像
数:4
指定:国宝
材質:塑像(そぞう:粘土)
時代:8世紀(奈良時代)
作者:推定 国中公麻呂(くになかのきみまろ)
東大寺の大仏を鋳造したと伝わる

大きさ
持国天像:160.5cm
增長天像:162.2cm
心目天像:169.9cm
多聞天像:164.5cm



東大寺 四天王像 、聖徳太子が信仰していた?

日本に仏教が伝来した飛鳥時代、4人グループの四天王は異国の神ながら、早くから信仰されていました。
聖徳太子によって、四天王寺(大阪)の造立がはじまったのは、推古天皇元年(593)のことです。
当時、大陸から伝わった仏教を受け入れるかどうかをめぐり、蘇我氏と物部氏が対立。
聖徳太子、厩戸皇子(うまやどのおうじ・14歳)は蘇我氏側にいました。

「日本書紀」によれば、厩戸皇子は「この争いに勝利したら、四天王をまつる寺院を建てて、すべての人々を救済する」とあり、蘇我氏が勝利したので、四天王寺を造立することに。
すでにこのとき、皇子は四天王の役割を知っていたことになります。
素晴らしい方ですね。

もととなる経典は「金光明最勝王経』
四天王をはじめとするさまざまな仏による国家鎮護を説く経典です。
唐の技法が長安3年(703)に訳しました。
日本に伝わったのは、5年後といわれています。
その経典の中にある「四天王護国品」に、釈迦と四天王のやりとりが伝えられています。
「人間界の王がこの金光明経を敬って供養するならば、人々を守り、平和に暮らせるようにしてあげなさい」と釈迦。
それに対して四天王は、「その国のいかなる場所においても、我々は人々を守り、苦難を寄せつけず、寿命を伸ばし、平に暮らせるようにしましょう。もしも、隣国の敵が攻めてくるようなことがあって
も、無数の鬼神とともに姿を隠して援助し、相手を降伏させます」と誓っています。

その国は日本だったのかもしれませんね・・・。



東大寺・東大寺ミュージアムへのアクセス

東大寺
〒630-8587 奈良市雑司町406-1

①JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス「東大寺大仏殿・春日大社前」下車徒歩5分
②近鉄奈良駅から、ぐるっとバス(大宮通ルート・奈良公園ルート)「大仏殿前駐車場」下車すぐ
③近鉄奈良駅から徒歩約20分

※東大寺には駐車場はありません。

東大寺ミュージアム
〒630-8208 奈良市水門町100番地
TEL. 0742-20-5511 FAX. 0742-25-5553

JR大和路線・近鉄奈良線「奈良駅」から市内循環バス「大仏殿春日大社前」下車徒歩5分
※施設内に駐車場はありません。



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